
百萬塔とは。小さな塔と、その内側。
歴史上の百万塔は、奈良時代に称徳天皇の発願によって造られた百万基の木製の小塔です。三層の屋根を重ねた姿をもち、内側に陀羅尼を納めました。「百萬塔」は「百万塔」の旧字体表記で、河合木工では作品名に用いています。
塔と、その中に納めた経文。二つを一緒に見ることで、この造形が単なる建物の縮小模型ではなく、仏教の教えと結びつくものであったことがわかります。
称徳天皇は、なぜ百万の塔を造ったのか。
764年、藤原仲麻呂の乱が起こりました。その後、称徳天皇は百万塔の造立を発願します。背景には、戦乱の後に死者を弔い、罪業の消滅と国家の安寧を願う思想がありました。
作品帖が伝える要点は、塔を造り陀羅尼を納めることで罪障を滅し、国家を護る功徳が得られる、という仏教の教えです。「滅罪」は罪業の消滅を願うこと、「鎮護国家」は仏教の力によって国を護ろうとする考え方です。
百万塔は、戦乱後の祈願と、大規模な造塔・印刷の仕事が一体となった事業でした。祈りの意味は当時の信仰の説明であり、現代の木工作品の効能を示すものではありません。
764年から770年へ。
- 764年藤原仲麻呂の乱。その後、百万塔の造立が発願されます。
- 造立・印刷木製の塔を作り、経文を印刷し、塔の内部へ納める仕事が進められました。
- 770年事業が完成。十大寺に十万基ずつ納められたと伝わります。
塔身・相輪・陀羅尼。かたちを読む。
奈良国立博物館の解説によれば、歴史上の百万塔は、塔身と相輪を別々に轆轤で挽き、白色顔料を塗ったものです。塔身の上から穴をあけて経文を納め、相輪の下端を差し込んで蓋とする構造になっています。
塔身
三層の屋根を重ねた本体。河合木工の作品でも、屋根と台座の連なりが見どころです。
相輪
塔の上部に立ち上がる部分。屋根の枚数とは区別して眺めると、造形を読み取りやすくなります。
陀羅尼
塔の内部に納められた経文。百万塔の目的を理解するうえで欠かせない存在です。
納められた四種類の陀羅尼。

百万塔には、『無垢浄光大陀羅尼経』に説かれる陀羅尼のうち、根本・相輪・自心印・六度の四種類が納められました。四種類すべてを一つの塔に入れるという意味ではなく、一基に一巻を納めたものです。
作品帖では「無垢浄光陀羅尼経」と表記しています。ここでは、塔の中の個々の陀羅尼と、その教えのもととなる経典とを区別して紹介しています。
印刷史における百万塔陀羅尼。
百万塔陀羅尼は、印刷した年代が明確な、現存する世界最古の印刷物として知られています。作品帖の「世界最古」という表現は、この条件を添えて捉えると、より正確です。
ただし、印刷の版の材質は決着していません。印刷博物館は、木の版に彫ったとする説と、銅の凸版を使ったとする説を紹介しています。「奈良時代の木版印刷」と一つに断定せず、未解決の点も残る資料として見る必要があります。
十大寺への分納と、法隆寺からの伝来。
十大寺は、大安寺・元興寺・興福寺・薬師寺・東大寺・西大寺・法隆寺に、四天王寺・崇福寺・弘福寺(川原寺)を加えた寺々です。奈良だけに限られない広がりがありました。
現存する百万塔は法隆寺に伝来したものです。ただし、「現在もすべて法隆寺の中にある」という意味ではありません。寺外へ移ったものもあり、博物館などにも所蔵されています。
春日杉で仕立てる、河合木工の百萬塔。
河合木工は、百萬塔の歴史的な姿を題材に、春日杉で一つ一つ作品を仕立ててきました。文化財そのものでも、奈良時代の現物でもなく、寸法・材料・技法を厳密に再現した復元品でもありません。
白く塗られた歴史上の塔に対して、河合木工の百萬塔では木肌が表に現れます。屋根の曲面、台座の側面、相輪。各部に現れる木目をたどると、同じ塔の形の中にも、一作ごとの違いが見えてきます。
作品帖の言葉を借りれば、奈良の木と奈良の歴史的造形を一つの作品に重ねる仕事です。木材の表情と、かたちの由来を、ともにお楽しみください。
よくあるご質問。
百萬塔なのに屋根が三層なのはなぜですか?
「百万」は歴史上の造立数を指します。屋根の層数ではありません。
五重塔・十三重塔も百万塔ですか?
河合木工では別の作品として紹介しています。歴史上の百万塔は三重小塔で、五重塔・十三重塔と同じものではありません。
河合木工の百萬塔には陀羅尼が付属しますか?
付属品と内部の構造は、ご希望の現物について確認してご案内します。掲載した陀羅尼の図版が、そのまま全作品に付属するという意味ではありません。
どのくらいの大きさですか?
現存作品の寸法を個別にご案内します。設置イメージだけで判断せず、棚や床の間の寸法と合わせてご相談ください。